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福岡地方裁判所 平成8年(ワ)2324号 判決

原告

甲野花子

原告兼右法定代理人親権者父

甲野太郎

同母

甲野春子

右原告ら訴訟代理人弁護士

辻本育子

深堀寿美

池永満

右訴訟復代理人弁護士

小林洋二

被告

福岡市

右代表者市長

山崎広太郎

右訴訟代理人弁護士

加藤済仁

右訴訟復代理人弁護士

松本みどり

岡田隆志

主文

一  被告は、原告甲野花子に対し金一億三八四五万一五九八円及びこれに対する平成五年三月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野太郎に対し金三三〇万円及びこれに対する平成五年三月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野春子に対し金三三〇万円及びこれに対する平成五年三月三日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。ただし、被告が原告甲野花子に対し一億円、原告甲野太郎に対し二〇〇万円、原告甲野春子に対し二〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告甲野花子に対し一億八四一一万八〇〇〇円、原告甲野太郎に対し一一〇〇万円、原告甲野春子に対し一一〇〇万円及びそれぞれに対する平成五年三月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告らが被告に対し、原告甲野春子(以下「原告春子」という。)に施された分娩誘発により娩出した原告甲野花子(以下「原告花子」という。)に後遺障害が生じたことにつき、医師に分娩誘発についての説明義務違反があったこと、分娩誘発剤の過量投与等誘発方法に誤りがあったこと、吸引分娩、クリステレル圧出法を行うべきではなかったこと等を理由として使用者責任に基づく損害賠償請求をしている事案である。

一  争いのない事実等

以下の事実は、当事者間に争いがないか、又は括弧内掲記の証拠により容易に認めることができる。

1  当事者

(一) 被告は、福岡市民病院(以下「被告病院」という。)を開設している。

(二) 原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)及び原告春子は、原告花子の両親である。

2  妊娠前の経緯

(一) 原告春子は、昭和六三年六月二一日、被告病院において長女甲野夏子を出産した。この時の主治医は乙田一郎医師(以下「乙田医師」という。)であった。その際の妊娠、出産の経過に問題はなかった(甲一四、証人乙田)。

(二) 原告春子は、平成三年六月、妊娠一四週で品胎(三つ子)を流産した。このときは、自宅のトイレで一児を娩出して、すぐに被告病院に入院した。乙田医師は、残りの二児も娩出させるためにプロスタグランディン一錠を入れたが陣痛は始まらず、子宮口も閉口したままであった。妊娠を継続したいという原告春子の強い意向もあり、乙田医師は洗浄して頸管縫縮術を施したが、結局残りの二児とも流産してしまった。三児とも娩出してしまった後、乙田医師は、原告春子の子宮内を軽くさぐった(乙六、証人乙田)。

3  入院前の措置等

(一) 原告春子は、妊娠したため、平成四年七月一三日、被告病院産科を受診し、乙田医師の診断を受け、妊娠五週二日と診断され、HCG五〇〇〇単位を筋肉注射され、その後引き続き経過観察のため通院した(乙一)。

(二) 乙田医師は、原告春子が頸管無力症であると判断し、同年八月二四日(妊娠一一週一日)、同人に対しその旨説明した。原告春子は、下腹部痛はないが、褐色の帯下があると訴えた。内診の結果、子宮口は閉鎖していた。乙田医師は、原告春子が前回妊娠の際、自然流産していたことから、今回の妊娠でも自然流産を危惧した(乙一)。

(三) 乙田医師は、原告春子に対し、同年九月一日(妊娠一二週三日)、外来にてシロッカー手術(子宮口をシロッカー糸で縛る手術)の術前検査を行い、原告春子は、同月九日入院し、同月一〇日、シロッカー手術を施された。術後、原告春子及び胎児に特段の異常は現われず、順調な経過をたどり、同月一八日原告春子は退院した(乙一、二、証人乙田)。

(四) 平成四年一〇月二日(妊娠一七週)、原告春子は、膣からゴム様のものが出ると訴えたが、異常なしと診断され、同月二〇日(妊娠一九週四日)、原告春子は、痔のような痛みを訴えたところ、抗生剤トミロン、鎮痛、抗炎症剤ソランタールが処方された(乙一)。

(五) 同年一一月一九日(妊娠二三週六日)、同年一二月一六日(妊娠二七週五日)、原告春子は、痔又は便秘を訴えたところ、いずれも緩下剤アローゼン一四日分ずつを処方された(乙一)。

(六) 平成五年一月一二日(妊娠三一週四日)、一デシリットル当たりのヘモグロビンが9.9グラムであり、貧血が認められたことから、鉄剤フェロミア一四日分を処方された(乙一)。

(七) 同月二八日(妊娠三三週六日)、原告春子は、皮膚痒疹を訴え、ステロイド剤リンデロンVクリームを処方された(乙一)。

(八) 同年二月一〇日(妊娠三五週五日)、BPD(児頭大横径)9.3センチメートル、FFL(大腿骨長)6.7センチメートルであり、胎児は妊娠週数相当の大きさであった(乙一)。

(九) 同月二六日(妊娠三八週)、BPD9.1ないし9.3センチメートル、FFL7.0センチメートルであった(乙一)。

内診所見は、子宮口開大度一ないし二センチメートル、頸管展退度七〇パーセント、児頭位置マイナス二センチメートル、頸管硬度軟、子宮口位置後方ないし中央で、ビショップスコア(頸管成熟度)六ないし七点であり、三月三日入院予定となった(乙一)。

4  入院後の経緯

(一) シロッカー糸の抜去等

平成五年三月二日(妊娠三八週四日)、乙田医師の指示により、原告春子は入院した。午後一時ころモニターが行われ、児心音に異常がないことが認められた。午後六時ころ、シロッカー糸が抜去された。乙田医師が入院を指示したのは、抜糸をすると陣痛が生じる可能性があるからであった。シロッカー糸抜去の際、胎児に異常はなかった。抜糸後の内診所見は、子宮口開大度一ないし二センチメートル、頸管展退度八〇パーセント、子宮口の位置後方であった(乙三、証人乙田)。

乙田医師は、右シロッカー糸抜去時のビショップスコアは六ないし七点と判断し、右抜去後、同日中には医師の内診は行われなかった(証人乙田)。

原告春子の状態及び児心音は、三月三日朝まで特に異常はなかった(乙三)。

(二) 分娩誘発の開始

(1) 三月三日午前九時八分ころから、分娩監視(モニター)が開始された(甲九、乙五、証人乙田)。

(2) 同日午前九時一〇分子宮収縮剤シントシノン(一般名オキシトシン)の点滴による分娩誘発(以下「本件分娩誘発」といい、本件分娩誘発に係る分娩を「本件分娩」という。)が開始された(乙三)。

(3) 乙田医師は、本件分娩誘発を開始した後の午前九時三〇分から一〇時ころまでの間に初めて、当初の担当助産婦丙川から分娩誘発を開始した旨の連絡を受けた(証人乙田)。

(4) 同日のオキシトシンの投与の状況は次のとおりである。なお、オキシトシンは、一A(五単位)を五パーセントブドウ糖五〇〇ミリリットルに溶解したものを点滴静注する方法により投与した(乙三)。

開始時刻 投与量

(一分間当たり) (一時間当たり)

午前九時一〇分

2.5ミリ単位 一五ミリリットル

午前九時四〇分

五ミリ単位 三〇ミリリットル

午前一〇時一〇分

一〇ミリ単位 六〇ミリリットル

午前一〇時四〇分

一五ミリ単位 九〇ミリリットル

午前一一時一〇分

二〇ミリ単位 一二〇ミリリットル

(三) 分娩の経緯

(1) 同日午前九時五六分ころから、七分間隔で陣痛が始まり、午前一〇時一六分ころには二分ないし三分間隔となっていた。陣痛開始から午前一一時三〇分ころまでの間、胎児心拍は一六〇を超える状態がほとんど続いた。子宮口開大度も誘発開始当時の一ないし二センチメートルの状態でほぼ変化がなかった(甲九、乙三、五、証人乙田)。

(2) 同日午前一一時二八分、自然破水が生じ、同時四五分、児心音が八〇台に落ち込んだが、すぐに一六〇位に戻った(甲九)。

その後、助産婦による酸素投与がなされたのみで、医師への報告もなく、そのまま誘発が続けられた。

(3) 同日午後零時ころ、子宮口開大度二センチメートル、児頭位置マイナス二センチメートル、陣痛間歇三分、胎児心拍数は一六〇ないし一八〇であった(乙三)。

午後零時三分ころから陣痛曲線の山が目立たなくなるが、このころまで陣痛は継続していた、(甲九、乙五、証人乙田)。

(4) 午後零時九分ころから胎児心拍数の乱れがみられ、午後零時一五分に児心音が七〇に低下し、助産婦は、オキシトシンの点滴を中止し、ラクテックの点滴に変更し、酸素投与量を一分間当たり八リットルに増量した。その後、乙田医師に原告春子及び胎児の状況が報告され、メイロン一Aの静脈注射がなされた(甲九、乙三、五)。

午後零時二三分、子宮口開大度八ないし九センチメートル、児頭位置マイナス三センチメートル、胎児心拍数六〇ないし七〇であった(乙三)。

(四) 乙田医師の診察及び吸引分娩等の試み

乙田医師は、同日午後零時三〇分ころ、その日初めて原告春子を診察し、吸引分娩を施行することを決定し、午後零時四〇分ころ、外陰部の消毒がなされた後、吸引分娩を試みたが、児頭が高かったため娩出できず、午後零時五〇分ころクリステレル圧出法を試みたが、児頭が下降しなかったため娩出できなかった。このころの胎児心拍数は、六〇ないし七〇のままであった(乙三)。

(五) 帝王切開

午後零時五五分ころ、乙田医師は、緊急帝王切開術を行うことを決定し、午後一時一九分帝王切開術が開始され、午後一時二一分、娩出した。

(六) 出産後の原告春子、原告花子の状態

(1) 原告春子は、子宮破裂を起こしていた。すなわち、乙田医師が腹膜を開いたところ、胎児の顔が一部認められ、その横に胎盤が部分剥離して、破裂創の部より二分の一ないし三分の一程度露出していた。膣内清拭をすると、帝王切開したような裂創が子宮頸部に半月状に存在していた。出血量は、羊水も含めて一一〇九グラム、純粋な出血量は三〇〇グラム前後であった(乙三、証人乙田)。

(2) 原告花子の出生後の状態は次のとおりであった(乙九)。

原告花子は、出生直後のアプガースコアが二点(心拍数のみプラス二、皮膚色、反射性、筋緊張、呼吸の要素については零点)の重症新生児仮死の状態であった。

午後一時二三分、被告病院麻酔科医師丁山(以下「丁山医師」という。)により、挿管がなされ、HR一〇〇ないし一二〇、全身チアノーゼプラスの状態で、DIV確保を試みたが、とれなかった。

午後一時四〇分、HR一〇〇ないし一二〇、チアノーゼプラス

午後二時七分、自発呼吸が時々あった。

(3) 乙田医師は、挿管後の原告花子について、酸素が入っているわりには皮膚色の変化がないと思ったが、心拍は大丈夫であるとのことであったため、原告春子の手術の方に集中した(乙三)。

(七) 転院後の原告花子の状況

(1) 同日午後二時一〇分、乙田医師は、原告花子の福岡市立こども病院(以下「こども病院」という。)への転院を決定し、原告花子は、午後二時二一分被告病院から搬出され、午後二時四〇分ころこども病院へ搬入され、NICUにおいて全身管理の下で治療を受けた(甲五、一〇、乙九)。

(2) こども病院医師A(以下「A」という。)の評価によれば、搬入時の原告花子のアプガースコアは四点(心拍数二点、皮膚色、呼吸各一点)であった。

(3) 搬入後、こども病院医師Bが原告花子の喉頭を展開したところ、原告花子に対し施行されていた挿管のチューブが食道挿管となっていた。そこで再挿管がなされ、イノバンやメイロンの投与がなされたところ、原告花子の肌色が良くなり、チアノーゼの状態は改善した。また、午後二時四五分の動脈血酸素分圧は476.5まで上昇したが、その後痙攣が発現した(甲五、一〇、証人A)。

(八) 後遺症

原告花子には、脳性痳痺による精神遅滞、てんかん、疼性四肢痳痺等の障害が平成六年六月二七日固定し、いまだに首も据わらず、全面介護が必要な状態である。右各障害は低酸素脳症の後遺症である(甲一、八、一〇、一四、原告春子本人)。

5  原告花子の現状、同人の介護の状況等(甲一四、原告春子本人)

(一) 体重

原告花子の体重は二〇キログラムである。体重の増加は、原告花子自身にとっては肥満により体がきつくなり、また、介護をする原告春子にとっても負担となるため、体重が増加しないように原告春子が注意している。

(二) 痰の吸引

原告花子が起床すると、原告春子が痰を吸引機により吸引する。痰の吸引は、通常は朝夜の二回でよいが、原告花子の体調が良くない場合には昼間も痰を吸引しなければならない。吸引機は原告春子が購入した。

(三) 抗痙攣剤の摂取

原告花子の起床後、原告春子は、粉薬の抗痙攣剤を水に溶かして、これを原告花子に摂取させる。原告花子の嚥下機能は未発達であるため、原告春子が原告花子の口元に右水溶液を持って行き、口の中に入れるようにして摂取させている。

(四) 食事

原告花子は咀嚼能力が未発達であるため、食事は全てペースト状の、乳児の離乳食のようなものでなければならない。また、同人は、首が据わっておらず、通常の椅子に自力で座ることができないので、原告春子は、椅子の背を少し後ろの方に倒し、原告花子を背もたれにもたれかからせ、ベルトで椅子に体を固定させた上で、原告花子に食事をとらせており、朝食のみで四〇分以上を要する。食事をさせること自体に原告花子のリハビリとしての意味がある。しかし、原告花子は、食べ物をうまく飲み込むことができず、ジュースやペースト状のものでさえ、飲食の最中にせき込んで戻してしまうことがある。

平成九年三月、原告花子は、大発作を起こし、経口による食事をすることができなくなったことがあった。このときは鼻から胃まで管を通し、その管から栄養分や薬を摂取させていた。

原告花子は、すぐ具合が悪くなるが、その場合経口での食事をさせることができない。病院では点滴により栄養や薬を与えることができるが、自宅では点滴ができないため、口から胃まで管を通して、栄養や水分を補給しなければならない。原告花子は、頻繁に熱を出したり風邪をひいたりするため、自宅にいる時も相当長い日数その管を通している。

(五) 体を動かすことについて

原告花子は、自分で動くことがほとんどできないため、放っておくと体が固くなってしまう。関節も動かなくなってしまうし、関節が変形してしまうおそれがある。そこで、原告春子は、毎日、原告花子の手足をマッサージし、体の関節全てを動かしてやっている。原告春子の膝の上に原告花子を仰向けに寝させ、背中を伸ばしてやったり、首に注意して抱き起こし、足を床に付けて、足に原告花子自身の体重を載せ、上体を支えて歩くような格好を取らせたりしている。そして、現在、原告春子は、病院等において、月曜日に二時間、水曜日に一時間半、発達のために体を動かす訓練を原告花子に受けさせている。しかし、原告花子の足の膝関節の部分は拘縮しており、リハビリ施設において、他の子供は、手を伸ばしたり、自分で転がったりすることができるようになるのに、原告花子には全くそのようなことがなく、発達がみられない状態である。

(六) 歯の変形について

原告花子は、咀嚼能力がないため、歯が変形してきている。

(七) 夕刻の状況、入浴等について

原告花子の介護は、ほとんど全て原告春子が行っている。原告春子は、平日の夕刻は長女の習い事への送り迎えをし、長女と原告花子へおやつを与え、長女に夕食を与えなければならないので、原告花子に夕食を与えるのは午後九時過ぎになってしまう。その後、原告花子を入浴させることがある。着替えをさせたり、薬を飲ませたりすると、午前零時ころになってしまい、その後に原告春子が夕食を済ませるのは午前一時ころになる。

(八) 入院、痙攣等について

原告花子は、一歳のころ脱水症状となり、入院し、危険な状態となった。また、原告花子は、寝たきりであるため逆さまつげになり、二回ほど手術のために入院した。平成九年三月、原告花子は、痙攣の発作を起こし、こども病院に入院し、抗痙攣剤を注射されたところ、二週間程度一切食事がとれず、ぐったりしてしまい、管を通して栄養を摂取し、元の状態に戻るのに三か月程度を要した。なお、現在月一回こども病院を受診している。

原告花子は、風邪をひきやすく、乱視である。手を握ることはできるが、何か物を持つことはできない。名前を呼ばれても、振り向いたり、返事をしたりすることはできない。

二  争点

1  分娩誘発の施行について

(一) 分娩誘発の適応があったか。

(二) 分娩誘発についての説明義務違反があったか。

2  分娩誘発の方法について

(一) オキシトシンの投与方法に誤りがあったか。過量投与があったか。

(二) 右(一)により過強陣痛、胎児仮死、子宮破裂が生じたか。

3  吸引分娩、クリステレル圧出法は行うべきでなかったか。

4  娩出直後の挿管は、気管内になされたか。

三  争点に関する原告の主張

1  分娩誘発の医学的適応、社会的適応について

(一) 分娩誘発は、母体又は胎児あるいは両者において、そのまま妊娠を継続した場合のリスクの方が分娩誘発を行った場合のリスクに比べて大きいと判断された場合に行うべきところ、本件では、母体側にも胎児側にも、妊娠を継続できず、分娩誘発を行わなければならない理由もなかったし、分娩誘発の希望もなかった。

(二) 原告春子は、前回妊娠時の妊娠初期(一四週)に品胎を流産したのみであって、そもそも墜落分娩の経験はない。乙田医師が墜落分娩の可能性を考えて分娩誘発を選択したという弁解は虚偽である。入院させて、ベッド上安静を指示しておけば、墜落分娩やそれによる事故は防ぐことが可能であった。原告春子は、平成五年三月二日、出産予定日まで間があるので、二週間ないし二〇日間程度入院するつもりで、その準備をして入院した。

(三) 乙田医師は、ビショップスコアが六ないし七であると判断したのであるから、日本母性保護医協会基準に照らすと、子宮頸管は、本件分娩誘発開始当時成熟しているとはいえない状態であった。また、ビショップスコアが九以上になるのを待つと急速に分娩が進んでしまう可能性があったとしても、問題はなかった。

(四) したがって、本件分娩においては、分娩誘発の医学的適応も社会的適応もなかったものであり、乙田医師には適応、要約の判断を誤って本件分娩誘発を実施した過失がある。

2  分娩誘発に関する説明義務等について

(一) 陣痛促進剤による分娩誘発は、時として胎児仮死、新生児仮死等、胎児及び母体に重大な影響を生じることがあるので、医師は、これを選択するに当たっては、分娩誘発の必要性を十分に検討した上で、その危険性等について妊婦や家族に十分に説明し、その自由な意思による同意を得た上で、十分な分娩監視の下にこれをなすべき注意義務を負う。

(二) 社会的適応の場合、分娩誘発の必要性は、医学的なものではなく、専ら患者の社会的、個人的理由によるものであるから、分娩誘発の危険性を十分認識した上でなお患者がそれを望むか否かが決定的に重要となる。

本件では、平成五年三月三日に分娩誘発の必要性は全くなく、原告春子もこれを希望していなかったのであるから、その適応はなかった。

(三) 医療行為について患者の個別的な同意を得る必要がある場合に、医師は、患者が自らの判断で当該医療行為を受けるか否かを決定することができるよう、現在の病状、実施予定の医療行為の有無及び方法等を説明すべきであり、本件では、乙田医師は、最低でも分娩誘発の必要性、その危険性、分娩誘発をしなかった場合にどうなるかを説明すべきであった。

また、子宮破裂は、オキシトシンの副作用として常に挙げられるものであり、これを説明すべきことは当然である。仮にその副作用発現の頻度が低いとしても、一旦起きた場合の結果が重大であることに照らせば、子宮破裂の危険性について説明すべきことは当然である。

なお、本来個別の同意が必要な医療行為について、それが行われることを知りながら拒否せずに受けたことをもって、その医療行為について同意をしたとみなすことはできない。

(四) 乙田医師は、原告春子に何の説明もせず、自己決定に必要な情報提供をせず、同意(インフォームド・コンセント)も得ないまま、分娩誘発の方針を決定し、その旨助産婦に指示した。

3  オキシトシンによる分娩誘発を行う際の注意義務について

(一) オキシトシンによる分娩誘発は、副作用として過強陣痛、子宮破裂、胎児仮死、新生児仮死を起こすことが指摘されており、過剰投与による過強陣痛等の副作用を避けるため、分娩監視装置による観察を十分にしながら、薬剤も少量から投与を開始する必要がある。具体的には、オキシトシン投与開始は、できるだけ少量(一分当たり一ないし三ミリリットル単位)から始め、注入速度を上げる場合には、一度に一分当たり一ないし二ミリリットル単位の範囲で、四〇分以上経過をみた上で行われなければならない。

(二) しかし、本件では、薬剤の投与量を増やす際の時間的間隔も三〇分と短い上に、増加量も極めて多量であった。本件では日本母性保護協会の基準に基づきオキシトシンを投与した場合の二倍近い量の投与がなされた。

(三) 本件分娩誘発では、このように急速にオキシトシンの増量が行われ、過量投与がなされたことにより、胎児仮死や子宮破裂が生じたものである。

4  過強陣痛について

(一) 本件では過強陣痛が生じたものである。すなわち、原告春子は、平成五年三月三日午後零時三分以降も激痛を訴え続けていた。また、午後零時九分ころから胎児心拍数が不規則に乱れ、午後零時一五分には明らかな胎児仮死を示しており、子宮破裂が発生したことからみれば、過強陣痛が発生し、これにより、胎児仮死及び子宮破裂が生じた可能性が極めて高い。

(二) 他覚的症状として挙げられている全ての症状が認められないと過強陣痛ではないというわけではない。本件において過強陣痛の他覚的症状が認められないのは、被告病院の分娩監視が不十分であったことによる可能性がある。

(三) 同日午後零時三分ころから陣痛周期も持続時間も不明となっており、陣痛計で判断する限り、このころは、子宮が収縮したままになっていたか、弛緩したままになっていたか、あるいは何らかの理由で陣痛計が原告春子の陣痛の状態を表現しなくなっていたかのいずれかの状態であったのであり、少なくとも正常な陣痛の状態を表しているものとはいえない。このような場合、医師らとしては、子宮体に相当する腹壁に手を当て、子宮体が硬くなっているかどうかを触診し、妊婦の痛みの訴えを聞いた上で過強陣痛か否かを判断するしかなく、そのように触診すべきであった。

しかし、乙田医師、助産婦らはそのような触診をしなかった。

5  子宮破裂の原因について

(一) 胎児早期剥離が子宮破裂の原因となりうるのは、胎盤早期剥離による出血によって子宮壁がうっ血をきたした場合である。ところが本件においては、出血は二〇〇ないし三〇〇ミリリットル程度で、胎盤早期剥離の症例と比較して極めて少なく、子宮壁の血液浸潤もない。したがって、本件の子宮破裂の原因は胎盤早期剥離ではない。

(二) 仮に胎盤早期剥離が存在し、これが胎児仮死に影響しているとしても、それも子宮収縮剤の副作用というべきである。

(三) 被告は、母体の血圧変動がなかったことを子宮破裂と胎児仮死との因果関係を否定する根拠の一つとしているが、被告病院の記録上、原告春子の陣痛が開始していから帝王切開施行に至るまで原告春子の血圧が測定された形跡はない。

6  分娩誘発の際の経過観察について

(一) 分娩誘発の際には、医師が内診により児頭の位置や頸管の堅さを確認して適応を判断し、また分娩経過を観察して適切な対応をなしうるようにすべき注意義務があるが、乙田医師は、本件において分娩誘発前の内診をせず、開始後も三時間以上もの間、診察をしなかった。そのため、早期から原告春子が激烈な陣痛を訴え、児心音の低下等の異常所見があったにもかかわらず、適切な処置がされないまま、重度の胎児仮死状態が継続するに至るまで放置した。これは、右注意義務を怠ったものであり、過失がある。

(二) 平成五年三月三日の分娩誘発の際、自然破水が生じるまでは原告春子にほとんど痛みはなく、破水が生じたのとほぼ時を同じくして激烈な陣痛が起きた。原告春子は、右陣痛が長女夏子を出産した時の娩出直前の痛みと同じである旨を看護婦に訴えたが、とりあってもらえなかった。

(三) 同日午後零時一五分に児心音が七〇に低下するに至り初めて、助産婦はオキシトシンの点滴を中止し、乙田医師に報告をした。

7  吸引分娩について

(一) 吸引分娩を行う前提として、児頭が骨盤内に安定していること(ステーションプラスマイナス零以下)、子宮口が全開大になっていることが必要である。

(二) しかし、乙田医師が平成五年三月三日午後零時三〇分ころ原告春子を診察し、吸引分娩をすることを決定した際、子宮口開大の程度は八ないし九センチメートルであり、児頭の先進距離はマイナス三であった。しかも、児頭が骨盤内に固定しておらず、結果的に吸引をしても「児頭高くできず」、「児頭降下せず」という有様であった。また、吸引分娩は、そもそも微弱陣痛や微弱腹圧の場合の急速逐娩方法として有効であるとされているものであり、本件のような状態で強引に吸引分娩を行ったことは、医師としての義務に違反している。

(三) 本件で行われた吸引分娩は要約を充たさないものであり、吸引分娩に時間を割くことなく、一刻も早く帝王切開の準備を整え手術に踏み切るべきであった。乙田医師は、要約を充たさない吸引分娩を試みることによって、結果的には胎児仮死の状態を長引かせてしまったのであり、このことが原告花子の低酸素脳症及びその後遺症に影響を与えたものである。

(四) 被告の主張するように、仮に分娩監視記録上平成五年三月三日午後零時一五分ころから常位胎盤早期剥離を疑わせる所見が出現したのであれば、そのころ分娩監視に当たっていた戊谷助産婦はその旨速やかに乙田医師に報告し、この時点からダブルセットアップを開始すべきであり、そうすれば原告花子が低酸素状態にさらされていた時間を短くできたはずである。

8  クリステレル圧出法について

(一) 本件分娩においては、クリステレル圧出法を施行すべきではなかった。すなわち、やむを得ずクリステレル圧出法を行う場合は、適応を厳格に判断すべきであるところ、本件でクリステレル圧出法が施行された時点の児頭降下度はマイナス三であり、仮にステーション零であったとしても、適応があるとされる排臨(プラス四)の状態にはほど遠かった。しかもこの時点では既に陣痛発作はなかったものであり、陣痛発作に合わせて圧迫することもできなかったのである。したがって、本件ではクリステレル圧出法施行の適応はなかった。

(二) 乙田医師は、クリステレル圧出法を施行したことにより、医師としての義務に違反し、胎盤部を圧迫して低酸素状態を悪化させ、胎盤早期剥離を発生させ、これにより既にあった胎児仮死をさらに悪化させたものである。

9  挿管について

(一) 被告病院の医師には、仮死状態の新生児に挿管の必要があると判断したときには、誤って食道に挿管することなく、気道、気管支に入れるようにする注意義務があり、また、挿管後に空気が肺に入っているかどうかを確認するとともに、チアノーゼが解消する等、酸素等の投与が十分に行われているどうかを確認する義務がある。

(二) しかし、原告花子の治療に当たった医師は、挿管に当たって十分な注意を払わずに食道に挿管をし、挿管後も、チアノーゼが回復せず、挿管が適切に行われていないことを示す症状があったのであるから、ハルスオキシメーター装着と血液ガス分析により肺における血液の酸素化をチェックし、食道挿管を疑って喉頭展開により挿管が適切に行われているか否かを確認すべきであったのに、これを放置した。

(三) 原告花子は、新生児仮死の状態で生まれたが、気管内挿管が適切に行われて、出生直後から十分な酸素投与を受けておれば、低酸素状態から速やかに離脱して、後遺症を残さないで回復した可能性があった。

しかし、原告花子は、食道挿管により酸素の投与が不十分となり、出生後も一時間もの間低酸素状態に置かれていた。このような長時間の低酸素状態の継続により、脳が回復不可能なダメージを受けて、脳性痳痺の後遺症が残ったのである。

10  原告花子の損害と陣痛誘発との因果関係

(一) 原告花子に脳性痳痺による精神遅滞等の障害が残ったのは、陣痛誘発のために過強陣痛が発生し、子宮破裂が生じた結果、重篤な胎児仮死となり、長くその状態を継続させたためである。

(二) 原告花子の低酸素脳症のそもそもの原因は、分娩誘発剤の副作用として発生した胎児仮死(低酸素状態)によるものと考えられるが、吸引分娩及びクリステレル圧出法によって低酸素状態はさらに増強した可能性がある。さらに、娩出後の食道挿管により低酸素状態が持続し、脳のダメージは不可逆的なものとなり、最終的に後遺症を発生させたものである。

(三) 本件での胎盤剥離は部分剥離であり、剥離が確認されたのは二分の一ないし三分の一に過ぎない。出血も二〇〇ないし三〇〇ミリリットル程度であり、軽症の常位胎盤早期剥離である。この場合予後は母子共に良好なことが多く、常位胎盤早期剥離が原告花子の胎児仮死の一因であったとしても、主な原因であったとは考えられない。

11  損害

(一) 後遺症による逸失利益 七九九六万三四三〇円

原告花子は、生涯稼働不能であり、労働能力喪失率は一〇〇パーセントである。満一八歳から六七歳までの逸失利益を、平成四年賃金センサスによる全労働者全学歴年齢計の平均年収四六九万七一〇〇円に新ホフマン係数17.024を乗じて算定すると七九九六万三四三〇円となる。

本件訴訟ではその一部である五二六五万五二三二円を請求する。

(二) 介護付添費 九〇四六万二七六八円

原告花子は、現在も首が据わらず、自力で起き上がることはできず、常時介護が必要である。その介護費は、一日当たり八〇〇〇円、年間二九二万円を下るものではない。症状固定した一歳から平均余命まで七六年間の介護費を、新ホフマン係数30.9804を乗じて算定すると、九〇四六万二七六八円となる。

(三) 慰謝料 二五〇〇万円

原告花子は、本来なら何ら障害なく誕生し健常人としての生活を送ることができたのに、乙田医師らの過失により重度の障害者として今後の長い人生を送らなければならなくなったものであり、その苦痛を金銭に換算するとすれば二五〇〇万円を下らない。

(四) 両親固有の慰謝料 各一〇〇〇万円

原告太郎及び同春子は、第二子である原告花子の誕生を心待ちにしていた。ところが、乙田医師らの重大な過失により原告花子は前記のとおりの極めて重い障害を負って生まれ、終始両親による介護が必要な状態となった。このことにより原告太郎及び同春子が受けた精神的苦痛は計り知れず、これを敢えて金銭に換算するならば各一〇〇〇万円を下らない。

(五) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟を原告ら代理人に委任し、福岡県弁護士会報酬規程に基づいて報酬契約を締結した。これによる弁護士費用の内、被告に負担させるべき金額としては、原告花子につき一六〇〇万円、原告太郎につき一〇〇万円、原告春子につき一〇〇万円が相当である。

四  争点に関する被告の主張

1  分別誘発の必要性、適応、要約について

(一) 原告春子の分娩は、医師がいつでも診察できる状況で進行させる必要があった。事実、原告春子の子宮口は、平成五年三月三日午後零時二〇分ころから三〇分ころまでの一〇分間位で二センチメートルから全開大に近い状況に至っていた。したがって分娩誘発は必要であった。

(二) 墜落分娩の経験がある場合、十分な診療体制をとる時間的余裕もなく、急速に分娩が進み、それによる胎児(新生児)、母体の生命に対する危険性があるから、分娩誘発の社会的適応がある。

(三) 原告春子は、妊娠一四週で痛みもなく品胎の流産をしたことがあり、本件分娩においても、乙田医師は、産科医師として抜糸後の急産の可能性を考慮して妊婦の管理をしなければならなかった。

(四) 医療の実際からみて、出産時の対応は、日中の方が手厚く行うことができ、また、産科医、小児科医の人数、在院時間を考慮し、患者のことを考えれば診療時間内に分娩にもっていくのが妥当な措置である。

(五) 本件のような墜落分娩のおそれを理由とする分娩誘発において、頸管成熟度がビショップスコアで九点以上になるまで待って行うとした場合、それまでに急速に分娩が進んでしまい、本来の分娩誘発を行う意味がなくなってしまう。

ビショップスコアが六ないし七点あれば、頸管熟化と考えられ、経産では五点以上で分娩誘発を行うことが望ましいとされている。

2  分娩誘発に関する説明、同意について

(一) 原告春子は、乙田医師の説明により、本件分娩誘発につき了解していたし、平成五年三月二日午後九時ころ、看護婦から分娩誘発が行われる予定であることを聞いており、同月三日そのまま分娩誘発を受けたのであるから、分娩誘発について同意していた。

(二) 患者は、自分自身の生命、健康につき医療を受けるのである。患者に自己決定権を認めるのであれば、当該医療について自分が受けるか受けないか判断できるような説明が医師からされない場合には、患者は当然に医師に対し自ら聞くべきであり、それをしないならば、患者は自己決定権を放棄したものである。

原告春子は、分娩誘発につき乙田医師から説明を求める時間的余裕があったにもかかわらず、説明を求めていなかったのであるから、自己決定権を放棄した。

(三) 本件分娩誘発に関する説明、同意について、被告に責任があるというためには、原告春子が子宮収縮剤の危険性について乙田医師から説明を聞いたならば、本件分娩誘発を拒んだという事実関係が認められなければならないが、右事実関係はない。

逆に原告春子は、乙田医師を信頼し、医療を任せていたことから、仮に乙田医師から子宮収縮剤の危険性について説明を受けていたとしても、本件分娩誘発を拒まなかったと推測できる。

(四) 乙田医師には、子宮破裂の危険性についてまで説明する義務はなかった。

本件分娩誘発については、原告春子が禁忌事項に該当しない経産婦であり、オキシトシンの使用量は、開始量も増量も一般的に行われているもので、特に過量ということはなく、分娩監視装置が装着され、経験豊富な助産婦により分娩管理されており、しかも子宮破裂自体が極めて稀な合併症だからである。

(五) 分娩においては、妊婦にいたずらに不安を抱かせることは避けなければならず、担当産科医としては、妊婦が安心して分娩に臨めるよう努めなければならない。本件においては、分娩誘発時の原告春子の乙田医師を信頼していたとの心情を考慮すべきである。

3  オキシトシンの投与方法について

(一) 日本母性保護医協会の基準は医療水準を示したものではなく、分娩誘発におけるオキシトシンの投与量(開始量、増量方法)については、広く医師の裁量が認められている。しかも、本件では分娩監視装置が装着され、助産婦が分娩監視をしていることから、オキシトシンの投与量は適切であった。

(二) オキシトシンの生体内での半減期は五ないし一〇分であり、投与されたオキシトシンの有効性は、投与量増加が問題を生じる程に持続するわけではないから、投与総量は問題とはならない。

4  過強陣痛について

(一) 日本産婦人科学会から公表されている外測法での分娩監視記録の陣痛曲線による診断基準によれば、少なくとも平成五年三月三日午後零時三分ころまで過強陣痛はなかった。

(二) 同日午前一一時五〇分の胎児心拍数の落込みすなわち徐脈は、子宮収縮が起きている間だけ生じており、子宮収縮のピークと徐脈の最下点がほぼ一致していることから、早発一過性徐脈である。早発一過性徐脈は、児頭が骨盤内に嵌入するときや、分娩進行の中ごろに破水したときなどによくみられ、胎児仮死を疑わせるものではない。

したがって、午前一一時五〇分ころの分娩監視記録の所見は、何ら過強陣痛を疑わせるものではなく、大野助産婦が酸素を投与して経過をみたことは、適切な判断であった。

(三) 午後零時三分までの分娩監視記録の陣痛曲線から直ちに、子宮収縮の持続が異常に長いものであったということはできない。

過強陣痛の症状としては、一般的に陣痛時の疼痛が激しく、産婦は苦悶し、顔面は発赤腫脹し、チアノーゼをきたし、反射的に怒責して不随意に糞尿を漏らし、ときに頸部、胸部等に気腫が生じる。腹圧も反射的に増強し、産道に特別の抵抗もないときは、分娩は急速に経過し、開始後数分間で終わることがあるとされている。

陣痛の痛みの受取り方は主観的なものであって、妊婦によって個人差があるところ、原告春子は、陣痛時の疼痛が激しいと訴えてはいたが、他覚的症状はなかった。

大野助産婦は、経験豊富な助産婦であり、妊婦の分娩時の痛みの訴えについての十分な知識をふまえて、午後零時三〇分ころまでの原告春子の痛みの訴えが過強陣痛を疑わせるものではないと判断した。

原告春子は、午後一時ころまでの出来事についてはっきりと記憶しており、その陣痛が本人の訴える程のものではなかったことを十分に伺わせる。

(四) オキシトシンの過量投与による過強陣痛は、投与開始初期に起こるとされている。そして、オキシトシンの血中濃度は、注入速度が変化した場合には、初めの四〇分間は上昇し、その後一定になる。したがって、オキシトシン増量による過強陣痛が起こるとすれば、午前一一時五〇分ころまでに起こったと考えられる。しかし、午後零時三分ころまで過強陣痛は認められない。

また、仮にオキシトシンにより過強陣痛が起きていたとするならば、その投与中止と同時に過強陣痛がおさまり、激しい痛みがひくということはあり得ない。オキシトシンの体内中の半減期は五ないし一〇分であり、オキシトシンが中止されたとしてもまだ体内にあり、その効果がしばらく続くからである。

5  子宮破裂について

(一) 分娩誘発と子宮破裂との間に因果関係はない。単に分娩誘発下に子宮破裂が起きたに過ぎない。

(二) 子宮破裂の前駆症状(切迫破裂の症状)としては、呼吸促進、脈拍頻数、発熱、顔面紅潮、舌の乾燥、不安状態等が挙げられる。また、破裂症状としては、顔面蒼白、唇チアノーゼ、冷汗、嘔吐、脈拍弱く頻数、呼吸促進が挙げられ、内診所見として、胎児が破裂部から脱出していないときは、下向部を触れるが移動性であるとされている。

しかし、原告春子は、帝王切開となる午後零時五〇分ころまで、意識がはっきりしており、右前駆症状、破裂症状は認められなかった。

また、乙田医師は、内診で児頭の位置零、子宮口ほぼ全開大の所見をとった後、胎児の児頭に吸引カップを着けて吸引を行ったのであり、胎児は固定していて移動性を有していなかった。したがって、乙田医師が吸引分娩を試みた段階で子宮破裂は起きていなかった。

なお、胎児が固定していても吸引分娩が成功しない例は少なくない。新生児の所見として産瘤形成プラスであったところ、児頭が浮動している状態では産瘤は形成されないことから、児頭は固定され、産道との間での圧迫が続いたものである。

(三) 本件では、常位胎盤早期剥離に起因して吸引分娩終了後の子宮破裂が起きたとみられる。これは腹腔内の出血が少ないことからも伺われる。

(四) 子宮破裂により胎児仮死に陥るのは、血管の裂傷からの大出血、循環不全に続く胎児への血流不足によるものであり、本件における開腹時の腹腔内の出血の程度に照らし、重症の胎児仮死が起きたとは考えられない。母体は血圧の変動もなく、原告春子は周囲の状況もよく把握できる様子でありショック状態ではなかった。

(五) 一方、胎盤早期剥離は、子宮と胎児の血液の交換をしている命綱である胎盤組織が剥離するので、その付着面の二分の一ないし三分の一程度の剥離でも、直接胎児への血流が遮断されるために、外出血量が少なくても(腹腔内出血量が少なくても)胎児仮死がひどくなることは十分考えられる。胎盤早期剥離があれば子宮内にも出血が当然あり、子宮内の出血量は腹腔内の出血量よりも多量である。

そして、胎盤早期剥離が一ないし二度であったとしても、胎児仮死が起きても何ら不思議ではない。

6  原告花子の脳障害の原因

(一) 原告花子の脳障害の原因は、平成五年三月三日朝の陣痛誘発開始までに原因がないとするならば、同日午後零時一五分ころに発生し、帝王切開による分娩まで続いた胎児仮死である。

(二) 原告花子は、午後零時一五分ころから胎児仮死の徴候が出現し、午後零時二二分ころからは胎児心拍数が六〇ないし八〇となり、高度徐脈が持続していた。この高度徐脈の持続からすれば、帝王切開により出産した段階で、原告花子の予後は決まっていたと判断せざるを得ない(終末徐脈)。

なお、心拍数一六〇ないし一八〇の軽度頻脈については、胎児の異常を示すものではない。

(三) 午後零時一五分ころから出現した胎児仮死の原因は、常位胎盤早期剥離である。常位胎盤早期剥離の発症原因の一部をなすものとして、羊膜腔内圧の急激な低下(破水に当たる。)が挙げられる。

原告春子は、破水後に出産直前のような強い痛みを訴え出している。これは、破水時に常位胎盤早期剥離が起こり、それが徐々に進行して、午後零時一五分ころ胎児仮死の徴候が出現するまでの状況になったと考えられる。

なお、常位胎盤早期剥離については、その症状は様々であり、無症状の場合もあるものである。

7  乙田医師の内診等の対応について

(一)(1) 乙田医師は、本件分娩誘発開始時には内診をしていない。しかし、平成五年三月二日の午後六時過ぎに内診をした。

(2) 乙田医師は、三月三日朝、原告春子の状態につき、担当助産婦からそれまでの経過に異常がないという報告を受けていた。

(3) 本件分娩誘発に際しては、経験豊富な助産婦が分娩監視装置を装着して、陣痛、胎児心拍の状況を把握するとともに、原告春子の訴えや状態を診ていた。

(4) 乙田医師が分娩誘発時に原告春子の内診を行わなかったことと、原告らの損害(原告花子の脳障害)との間に因果関係はない。

(二) 平成五年三月三日午後零時一五分ころ常位胎盤早期剥離を疑わせる所見が出現したので、その段階でオキシトシンを中止する一方、原告春子への酸素投与量を一分間当たり八リットルに増量し、午後零時二〇分ころメイロンを静脈注射した。乙田医師は、同日午後零時三〇分ころ原告春子を診察し、腹部の緊張、分娩監視記録から胎盤早期剥離が疑われると診断した。この診断は、帝王切開時に胎盤早期剥離が確認されていることからみても適切であった。なお、内診の所見は、子宮口ほぼ全開大、児頭の位置零であった。乙田医師は、急速逐娩を開始し、帝王切開後、原告花子については速やかに蘇生処置を行う一方、大学病院小児科医の応援を依頼し、その後こども病院に搬送した。

(三) 原告は、午後零時一五分に分娩監視記録上、胎盤早期剥離を疑わせる所見が出現したのであれば、その段階で戊谷助産婦は速やかに乙田医師にその旨報告すべきであった旨主張するが、右主張はあくまでも後方視的に判断できることであり、午後零時一五分ころのモニターを見て、その段階で胎盤早期剥離を疑うことはできない。

8  吸引分娩について

(一) 平成五年三月三日午後零時三〇分ころ、乙田医師が診察した時、胎児心拍数は、六〇前後、時折一〇〇ないし二〇〇となり、子宮口はほぼ全開大、児頭位置は零センチメートルであった。

乙田医師が吸引分娩を試みた段階でも、子宮口はほぼ全開大に至っていた状態であり、一方胎児の状態は、午後零時二〇分ころから高度徐脈が持続しており、乙田医師が診察した時点ではできるだけ早く胎児を娩出しなければならない状況であった。したがって、吸引分娩を試みたことは適切であった。なお、臨床的には経産婦の「ほぼ全開」は、全開に等しいと考えられており、また、吸引分娩の要約としての子宮口全開大はあくまでも原則である。

(二) 本件ではあらかじめ急速逐娩が予想されていたものではない以上、本件のような緊急の状況下でダブルセットアップを求める原告らの主張は妥当ではない。

(三) 乙田医師が吸引分娩を試みたことと原告花子の脳障害との間に因果関係はない。

9  クリステレル圧出法について

(一) クリステレルについては、吸引分娩の効果を上げるために、子宮底の部を子宮口へ向けて押したもので、時間的にも数十秒もかからなかった。

(二) 乙田医師は、胎児の状況からして、できるだけ早く娩出させなければならないと判断し、吸引分娩を試みたが、娩出できなかったため、クリステレルを併用したのである。

10  食道挿管について

(一) 原告花子は、こども病院へ搬入された時、呼吸をしておらず、人工呼吸(バッギング)をされている状態であった。しかし、心拍数は一一七ないし一四七であり、皮膚色は末梢にチアノーゼが認められたが、全身色はピンクであった。

(二) 食道挿管下で純酸素による人工呼吸を行っても、気管から肺にかけてはガスが満たされた状態にあるため、適切なガス交換がなされない限り、純酸素が気管を通して肺には行かず、胃の方へ行くことになる。

あえぎ呼吸は仮死状態から数分後に生じるが、一〇分前後で最終無呼吸となるため、食道挿管下であえぎ呼吸が一時間二〇分近くも継続することはない。

また、あえぎ呼吸においては、心拍数と血圧が急速に低下するとされており、原告花子の心拍数が一一七ないし一四七、血圧が七四ないし四〇であったことと矛盾する。

純酸素による人口呼吸を受けている患児は、自発呼吸がない以上、呼吸していない状態と同じであるところ、原告花子は、平成五年三月三日午後一時二三分気管内挿管をされたが、仮にその挿管が当初から食道挿管であったならば、午後二時四〇分までの一時間一七分間食道挿管であったことになり、原告花子がこども病院に搬入されたときの状態を説明できない。

(三) 原告花子に対する気管内挿管は、専門の麻酔医が実施した処置であり、挿管後の聴診もされており、こども病院に搬送するまで新生児専門の三名の医師が周囲で観察している状態であったのであり、食道挿管が当初からあったとはいえない。

こども病院への入院約一時間後(午後三時五〇分ころ)に撮影された胸部レントゲン写真では、胃腸のガス像はやや少ないが正常であり、午後三時前に実施された原告花子の胃内のガスの吸引の量が一〇シーシーに過ぎず、その腹部の外観も平坦との所見があり、また搬送に付き添った小児科医が食道挿管を疑っていた事実はない。

(四) こども病院での喉頭展開時に気管内チューブの先端が気管からはずれたか、こども病院到着間近の救急車搬送中に気管内チューブが気管からはずれて食道挿管となった可能性が高い。

第三  争点に対する判断

一  分娩誘発の適応、要約について

1  適応について

(一) 証拠(甲二、八、一四、一八、乙一、三、一三、証人乙田、原告春子本人)によれば、次の事実が認められる。

(1) 分娩誘発の適応には、医学的適応と社会的適応とがあり、医学的適応には、胎児側の因子によるものと、母体側の因子によるものとがあるが、本件分娩誘発において、医学的適応はなかった。

(2) 社会的適応とは、社会的、個人的な理由から人為的に分娩日を決めて誘発を行うことであり、一般に計画分娩と呼ばれている。社会的適応には妊婦側の要請(家族の都合等)による場合と、医療施設側の事情(夜間、休日の医療従事者の不足等)による場合があり、社会的適応がある場合として、次の場合が挙げられる。

① 分娩予定日を過ぎたときなどの妊婦や家族の精神的焦りや不安の解消をする必要がある場合

② 職場復帰の期日との関係を考慮すべき場合

③ 不便な交通事情が存する場合

④ その他

墜落分娩を経験している場合

産科異常既往のある妊婦である場合

前回待期主義を採って児に何らかの影響があり、不安を感じている場合等

(3) 本件分娩においては、分娩予定日は平成五年三月一二日であり、分娩予定日は過ぎておらず、原告春子自身も分娩誘発を希望していたわけではなく、妊婦側の要請はなかった。

(4) 原告春子は、前回妊婦時の妊娠初期(一四週)に品胎を流産したのみであって、墜落分娩の経験はなかった。

(5) 乙田医師は、本件分娩においては、夜間、休日の医療従事者の不足等の医療施設側の事情から社会的適応があると判断した。

(二) 右によれば、本件分娩誘発においては、夜間、休日の医療従事者の不足等の医療施設側の事情という社会的適応を理由に分娩誘発がなされたものと考えられる。

2  要約について

(一) 証拠(甲二、乙一、一〇、一二、一九)によれば、次の事実が認められる。

(1) 分娩誘発をする際には、次の要約が充たされなければならない。

① 胎児が母体外で生存可能であること。社会的適応による誘発においては、胎児が十分成熟していなければならない。

② 経膣分娩が可能であること

③ 母体が分娩に耐えられること

④ 母体が分娩準備状態にあること

社会的適応では、頸管が十分成熟していることが望ましい。

⑤ 十分な分娩監視が可能であること

⑥ 妊婦及び家族の強い希望、同意があること

社会的適応においては、妊婦側の意向を尊重する必要がある。

(2) 頸管が軟化し伸展性の増加する現象を頸管の成熟化といい、その所見としては次の点が挙げられる。

① 子宮膣部が柔軟であること

② 子宮口が二ないし三センチメートル以上の開大であること

③ 頸管が三分の一又はそれ以上短縮していること

④ 子宮膣部の位置は中央あるいは前方にあること

そして、ビショップスコアが六、七点以上あれば頸管は成熟しているということができ、軟産道の準備状態が良好であると考えられる。

(二) 本件分娩については、平成五年二月二六日の時点でビショップスコアは六ないし七点であり、頸管硬度は軟であった。

そして、証拠(乙一、三、証人乙田)によれば、本件分娩誘発開始時のビショップスコアについては、乙田医師は児頭の位置を正確に診察したわけではなかったが、七点であったものと認められる。したがって、頸管については、本件分娩誘発開始当時、十分かどうかはともかく、成熟化していたものと認められる。しかし、証拠(甲八、一四、原告春子本人)によれば、原告春子及びその家族が本件分娩誘発を強く希望していたものではなかったことが認められ、また、分娩誘発についての妊婦及びその家族の同意は、本件分娩誘発の実施方法、危険性等につき十分に理解した上でなされるべきであるところ、後記のとおり、乙田医師は、本件分娩誘発につき原告春子に対する説明義務に違反し、同人は、本件分娩誘発の実施方法、危険性等につき十分に理解した上で同意をしたと認めることはできない以上、右要約としての原告春子の「同意」があったということができず、妊婦側の意向が尊重されたということはできない。結局、本件分娩誘発は右要約を充たさないものであったというべきである。

3  右によれば、本件分娩誘発については、社会的適応があったものの、要約を充たしていたということはできず、乙田医師には右判断を誤って本件分娩誘発を実施した過失があるというべきである。

二  説明義務について

1  説明義務の根拠について

(一) 医師が医療行為を行う場合、不可避的に患者の身体の侵襲を伴うところ、その違法性を阻却させる必要性から、患者自身のその侵襲に対する承諾を得ることが要請される。その承諾が十分な情報に基づく有効な同意であることの前提として、医師に説明義務が発生する。

(二) また、人は、生まれながらにして自らの生き方を自ら決定する権利(自己決定権)を有しているところ、そのためには自らの情報をコントロールすることが必要不可欠である。特に病気に罹患した人の場合には、病気がその後の人生の岐路になる可能性も高いことから、その情報を知った上でいかなる選択をするかが、その後の人生、生き方に大きな影響を持つ可能性があるため、とりわけその必要性が高くなる。このような患者の知る権利及び生き方に対する自己決定権に寄与するためにも医師に説明義務が発生する。

2  説明内容について

(一) 前述のとおり、医師の説明義務は患者側の同意を得る前提として、また、患者の自己決定権に資するために存在するのであるから、医師が説明を行うべき場合、その説明意図、目的に照らして、患者が自己の自由意思に基づき内容について判断ないし自己決定できるために必要な範囲での説明が要請される。したがって、分娩誘発を行う前に、どのような適応のもとに、いかなる方法で行うかを、予測される事態をも含めて、医師が妊婦に十分説明し、その同意を得ておくことは必須である。

(二) 証拠(乙一三)によれば、子宮収縮剤は、副作用として、過量投与により過強陣痛を惹起し、その結果胎児徐脈、胎児仮死が発生することがあり、はなはだしい場合には子宮破壊、胎児死亡等の重大な事態に陥ることがあり、また子宮収縮剤の感受性には個体差があることが認められる。

(三) したがって、乙田医師は、原告春子に対し、分娩誘発を行うことを決定するに当たり、分娩誘発の適応、要約、副作用、誘発方法につき具体的に説明すべき義務があったということができる。

(四) なお、証拠(甲一四、原告春子本人)によれば、本件分娩誘発当時、原告春子は、週刊誌等を通して、子宮収縮剤により子宮破裂が生じ得ること等を知っていたことが認められる。

しかし、このことだけから、子宮収縮剤による副作用について原告春子が十分な知識を持っていたということはできず、右分娩誘発に際しての乙田医師の原告春子に対する子宮収縮剤の副作用についての説明義務が免除されていたということはできない。

3  乙田医師等の説明内容

(一) 証拠(甲一四、乙三、証人乙田、原告春子本人)によれば、次の事実が認められる。

乙田医師自身は、平成五年三月二日、原告春子に対し、同人が分娩誘発の適応があること、分娩誘発の要約を充たしていること、分娩誘発の副作用等について説明しなかった。また、同月三日に分娩誘発を行うことについても説明しなかった。

(二) また、本件全証拠によるも、乙田医師自身が三月二日以前に原告春子に対し、右のような説明をした事実を認めることはできないし、前記争いのない事実等のとおり、乙田医師は、三月三日午後零時三〇分以降になって初めて原告春子を診察しており、同日右説明をした事実を認めるに足りる証拠はない。

(三) 証拠(甲八、一四、原告春子本人)によれば、三月二日午後九時ころ、被告病院看護婦が原告春子に対し「このまま朝まで陣痛が来なかったら、朝九時から誘発して出産をします。」と告げたことが認められるところ、この点につき、乙田医師は、三月二日、原告春子に対し、シロッカー糸を抜去し、内診後、三月三日の朝までに生まれなければ点滴で陣痛を起こしてお産に持っていくと説明した旨証言している。

しかし、証拠(乙一、三)によれば、カルテ上三月二日の欄には分娩誘発について「明日分娩誘発かよいか?」とあるのみであって、分娩誘発の適応、要約、副作用等についての説明内容、説明に対する原告春子の反応等の記載の存在は認められず、原告春子に分娩誘発を三月三日に行うことを説明したこと自体の記載があると認めることもできない。これに、原告春子の三月二日に乙田医師から分娩誘発について説明を受けたことはなかった旨の供述(甲八、一四、原告春子本人)を加えると、乙田医師の右証言を信用することはできない。

(四) よって、本件分娩誘発につき、乙田医師が原告春子に対し分娩誘発についての説明を行ったことはなく、原告春子は、三月二日午後九時ころ被告病院看護婦から本件分娩誘発を行うことを初めて知らされたものと認められる。

4  説明義務違反

以上によれば、乙田医師は、被告病院看護婦を通じて、原告春子に対し、分娩誘発を行うこと及びその実施方法を伝えたのみであり、原告春子に分娩誘発の適応があること、分娩誘発の要約を充たしていること、分娩誘発剤の副作用等については説明をしていなかったものであり、本件分娩誘発についての原告春子に対する説明義務に違反したというべきである。

5  原告春子の同意等の不存在

証拠(甲八、一四、乙一、三、原告春子本人)によれば、原告春子は、三月二日午後九時ころ被告病院看護婦から本件分娩誘発を行うことを伝えられた際、「じゃお願いします。」等と答えたことが認められる。

しかし、医師の説明義務が患者の同意を得るための前提として、かつ患者の自己決定権に資するために存在する以上、医師の説明義務が十分に履行されていない場合に患者が当該医療行為につき同意をしたとしても、当該患者が当該医療行為について十分な知識を有している場合でない限り、当該患者の同意は医師の説明義務が免除される理由にはならない。

したがって、原告春子の右回答によって、乙田医師の本件分娩誘発に関する説明義務が免除されることはないというべきである。

三  オキシトシンの投与方法について

1  証拠(甲二、乙一〇ないし一五、一九、二〇)によれば、次の事実が認められる。

(一) オキシトシンに対する子宮筋の感受性は、妊婦の条件によりかなり差がみられる。分娩準備が未熟な妊婦では有効陣痛を起こすのに毎分六〇ないし一〇〇ミリ単位も要する場合があるが、ビショップスコアが九点以上の場合には毎分0.5ミリ単位でも十分なこともある。

そこで、過剰投与による過強陣痛を避けるため、少量から投与を開始することが望ましい。

(二) オキシトシンの注入速度については様々な見解があり、次のような方法が考えられる。

(1) 注入開始濃度は、毎分一ないし三ミリ単位とできるだけ少量から開始する。至適濃度は毎分五ないし一五ミリ単位とする。至適濃度については、分娩監視装置の胎児心拍数図と陣痛の状態により決定する。安全限界は毎分二〇ミリ単位である。注入速度を上げる場合には一度に毎分一ないし二ミリ単位の範囲で、四〇分以上経過をみた上で有効陣痛でないと判断した場合に行う(甲二)。

(2) 毎分一ないし三ミリ単位の量で開始し、増量する時は二〇ないし四〇分の間隔をとりながら、毎分一ないし三ミリ単位を段階的に付加する(乙一一)。

(3) 毎分三ないし五ミリ単位から始め、一五ないし二〇分間様子をみて毎分2.5ないし三ミリ単位ずつ増量する。通常の維持量は毎分一〇ないし一五ミリ単位で、安全域は毎分二〇ミリ単位以下である(乙一二)。

(4) 毎分1.5ないし五ミリ単位から開始し、子宮収縮の状態を観察しながら一五ないし二〇分ごとに徐々に増量して行き、一ないし二時間で至適投与量になるように調節する。至適濃度は分娩第一期毎分五ないし一〇ミリ単位、第二期毎分一〇ないし一五ミリ単位程度が適当である。安全限界は毎分二五ミリ単位で、それ以上の増量は避けた方がよい(乙一三)。

(5) 毎分二ないし三ミリ単位から開始し、子宮収縮の反応をみながら、一〇分ごとに毎分一ないし二ミリ単位ずつ増量し、子宮収縮が二ないし三分ごとに起こる濃度を至適投与量とする(乙一五)。

(6) 毎分二ないし五ミリ単位から開始し、有効陣痛が得られるまで一五分おきに毎分二ミリ単位増加して行く(乙一九)。

2  本件分娩誘発におけるオキシトシンの投与方法につき検討する。

(一) 本件分娩誘発開始時におけるオキシトシンの注入速度は、毎分2.5ミリ単位である。したがって、注入開始時の注入速度に誤りがあったとは言い難い。

三〇分後に毎分2.5ミリ単位の増量を行っているが、この点についても、増量方法に誤りがあるとは言い難い。

(二) その後、三〇分間隔で毎分五ミリ単位の増量が三回行われているところ、これは、右1(二)(1)ないし(3)、(5)記載の各投与方法の基準を上回る量の増加がなされている。

(三) 本件分娩誘発においては、平成五年三月三日午前一〇時一六分ころ以降、陣痛間隔が二分ないし三分となっていた。また、右時点でのオキシトンの注入速度は毎分一〇ミリ単位であったところ、本件分娩誘発においては、証拠(甲八、一四、乙一、三、証人乙田、証人大野、証人戊谷、原告春子本人)によれば、オキシトシンに対する子宮筋の感受性のテストは行われなかったことが認められるので、原告春子の子宮筋のオキシトシンに対する感受性がどの程度であったかは把握されていなかったものである。

右によれば、本件分娩誘発において、オキシトシンの注入濃度は三月三日午前一〇時一六分ころ至適濃度となったものということができ、右時点以降に注入速度を上げる必要はなかったというべきである。すなわち、午前一〇時四〇分以降のオキシトシンの注入速度の増加により、オキシトシンが過量に投与されたものということができる。

四  常位胎盤早期剥離について

1  証拠(甲九、二〇、乙一、三、五、一七、二四、二五、)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 常位胎盤早期剥離とは、胎児の分娩前に正常位置(子宮体部)に付着していた胎盤が子宮壁から剥離してしまう場合をいう。

常位胎盤早期剥離の結果は、その程度にもよるが、子宮胎盤循環が遮断され、胎児仮死や死亡を招く。また、胎盤後血腫による母体貧血、DICによる出血傾向等が出現する。

常位胎盤早期剥離には、子宮破裂を伴うものもある。

(二) 常位胎盤早期剥離の重症度は次のとおりである。

(1) 軽症(第零度) 臨床的には無症状、児心音はたいてい良好、娩出胎盤視察により確認。胎盤剥離面三〇パーセント以下。胎児仮死マイナス。胎盤の剥離三分の一以下。

(2) 軽症(第一度) 性器出血中等度(五〇〇ミリリットル以下)、軽度子宮緊張感、児心音ときに消失、蛋白尿はまれ。胎児仮死プラスマイナス。胎盤の剥離三分の二以下。

(3) 中等症(第二度) 強い出血(五〇〇ミリリットル以上)、下腹部痛を伴う。子宮強直あり。胎児は入院時死亡していることが多い。蛋白尿ときに出現。胎児仮死プラス若しくは子宮内胎児死亡。胎盤の剥離三分の二ないし全部。

(4) 重症(第三度) 子宮内及び性器出血著明、子宮強直著明、下腹部痛、子宮底上昇、胎児は死亡、出血性ショック及び凝固障害併発、子宮漿膜面血液浸潤、蛋白尿陽性。子宮内胎児死亡。胎盤の剥離三分の二ないし全部。

(三) 乙第一七号証の子宮破裂を伴った常位胎盤早期剥離の事例は、頻回の腹部緊張、子宮硬直を伴い、子宮筋層内への黒褐色血液浸潤が認められたものである。また、総出血量は二一四〇グラムに達した。そして、血液浸潤のみられるクーベレール子宮は子宮破裂を生じやすいと言われている。

2  本件分娩における純粋な出血量は三〇〇ミリリットル前後であり、かつ、本件分娩において子宮壁の血液浸潤の所見があったとの証拠はない。

したがって、本件分娩については、出血量、胎盤の剥離の程度等にかんがみれば、常位胎盤早期剥離は第一度であったものとみられる。

そして、血液浸潤の不存在の点を加味し、乙第一七号証の事例と比較すると、本件分娩において生じた子宮破裂は、常位胎盤早期剥離を原因とするものということはできない。

また、胎盤の剥離の程度からみて、本件分娩の常位胎盤早期剥離の程度は第一度のうちでも、第零度に近いものであるといえること、出血量の程度、血液浸潤が認められていないこと等にかんがみれば、本件分娩において生じた胎児仮死は胎盤の剥離によるものとは認め難い。

この点、被告は、自然破水による羊膜腔内圧の急激な低下により常位胎盤早期剥離が生じたと主張するが、本件分娩においては分娩誘発中に自然破水が生じたものであり、証拠(甲九、乙五)によれば、子宮外圧の低下も認められない以上、自然破水により羊膜腔内圧が急激に低下したことを認めるに足る証拠はない。また、被告は、午後零時一五分ころ常位胎盤早期剥離を疑わせる所見が出現し、その段階でオキシトシン投与を中止し、酸素投与量を増量する等の処置をした旨主張する一方で、午後零時一五分ころのモニターを見て、その段階で常位胎盤早期剥離を疑うことはできない旨主張するが、右両主張は矛盾している。したがって、被告の主張は採用し難い。

五  過強陣痛について

1  証拠(甲五、八、九、一四、一六、乙五、八、一四、証人乙田、原告春子本人)によれば、次の事実が認められる。

(一) 陣痛の強さは、子宮内圧によって表現される。子宮内圧と陣痛の強さとの関係は、次のとおりである(圧力の単位はミリメートル水銀柱。以下同じ。)。

(1) 子宮口が四ないし六センチメートルの場合

平均四〇、過強七〇以上、微弱一〇以下

(2) 子宮口が七ないし八センチメートルの場合

平均四五、過強八〇以上、微弱一〇以下

(3) 子宮口が九センチメートルないし分娩第二期の場合

平均五〇、過強五五以上、微弱四〇以下

(二) ただし、臨床的には、子宮内圧に代えて陣痛周期と陣痛発作時間をもって陣痛の強さを表現することも認められている。なお、陣痛周期とは、陣痛の発作時間とその間欠の時間とを合わせた時間をいう。

陣痛周期と陣痛の強さとの関係は次のとおりである。

(1) 子宮口が四ないし六センチメートルの場合

平均三分、過強一分三〇秒以内、微弱六分三〇秒以上

(2) 子宮口が七ないし八センチメートルの場合

平均二分三〇秒、過強一分以内、微弱六分以上

(3) 子宮口が九センチメートル以上の場合

平均二分、過強一分以内、微弱四分以上

(三) また、陣痛持続時間を用いて陣痛の強さを表現してもよいこととされ、これにより、今日一般に普及している分娩監視装置にある外測陣痛曲線によっても陣痛の強さを表現できることとなっている。甲第九号証及び乙第五号証の陣痛曲線は、分娩監視装置による外測陣痛曲線である。

陣痛発作持続時間と陣痛の強さとの関係は次のとおりである。

(1) 子宮口が四ないし八センチメートルの場合

平均七〇秒、過強二分以上、微弱四〇秒以内

(2) 子宮口が九センチメートルないし分娩第二期の場合

平均六〇秒、過強一分三〇秒以上、微弱三〇秒以内

(四) 本件分娩誘発における外測陣痛曲線による観測は、次のとおりであった。

(1)分娩誘発開始当時の平成五年三月三日午前九時八分ころから九時五五分ころまでは、ほぼ目盛りは零のままであった。

(2) 午前九時五六分ころから陣痛が始まったが、それに対応するように、陣痛曲線も七分間隔で極期が生じた。しかし、間欠期の外測陣痛曲線は、午前一〇時三五分ころまでほぼ零の目盛りを基調に推移していた。

午前一〇時三六分ころから四六分ころまでは、間欠期は、目盛り一〇の部分を基調に推移していた。

午前一〇時四七分ころから一一時四九分ころまでは、間欠期は、目盛り三〇ないし五〇の部分を推移していた。

(3) 午前一〇時四七分ころから間欠期の陣痛曲線の位置自体が三〇ないし五〇という比較的高い位置を推移しつつ、午前一〇時五九分ころには、陣痛曲線の極期が一〇〇の目盛りを超え計測不能となった。また、午前一一時三分ころの極期も一〇〇の目盛りを超えていた。

(4) 午前一一時一八分ころから同時二〇分ころまでの間に二回陣痛が起きたが、子宮口開大は二センチメートルであった。

(5) 午前一一時二八分ころに自然破水が生じたが、その後の同時三〇分ころから同時三二分ころまでの間、外測陣痛曲線が不規則な波形となった。

(6) 午前一一時四三分ころから午後零時二分ころまでの間は、陣痛曲線は間欠期においても五〇の目盛りを下回ることはほとんどなかった。

(7) 午前一一時五〇分ころ、同時五三分ころの陣痛曲線の極期は、いずれも一〇〇の目盛りを超え計測不能となった。

午前一一時五〇分ころから午後零時三分ころまでは、間欠期は、目盛り五〇ないし六五を推移していた。

(8) 午後零時四分以降は、極期の存在が認められなくなり、外測陣痛曲線はほぼ平坦となり、陣痛曲線自体の位置も低くなっていった。

(五) 原告春子は、破水時に突然激しい痛みを感じた。その痛みは間を置かずにずっと続いているような状態であり、長女出産時の娩出直前の痛みと同様の強い痛みであった。

(六) 午前九時五九分ころから午前一一時五七分ころまでの間、胎児心拍数は、基本的には一六〇ないし一八〇の間で推移していたところ、午後零時一八分ころ以降は、胎児心拍数が一〇〇を切る状態が続いた。

(七) こども病院のA医師は、右病院に原告花子が入院した当時、新生児仮死の原因として、分娩誘発による新生児仮死を考えていた。

(八) 陣痛曲線によれば、午前一〇時一七分ころから午前一〇時五七分ころまでに遅発一過性徐脈とも思われるような徐脈が一〇回程度認められた。

遅発一過性徐脈は、子宮収縮より遅れて徐脈が始まり、その最下点は子宮収縮のピーク点よりかなり遅れるものである。これが子宮収縮ごとに出現したら、胎児仮死であるといわれる。

2  右によれば、午前一〇時四七分ころ以降、子宮収縮の程度が強まり、午前一〇時五九分ころから極めて強度の子宮収縮が生じるようになり、午前一一時四三分ころから午後零時三分ころまで極めて強度の子宮収縮が断続的に生じ、午後〇時一八分ころ以降胎児仮死となったものであり、本件分娩誘発において過強陣痛が生じたものということができる。

六  分娩誘発を行う際の注意義務違反について

1  乙田医師には、分娩誘発を行う場合には、子宮収縮剤の投与中に妊婦のいる場所に立ち会うか、それができなければ、看護婦等に対し、子宮収縮剤の特性、点滴の方法、少しでも異常と思われる事態が生じればすぐ医師を呼んで善処を求めることや、分娩監視を十分に行うこと等を教育することにより、少量からの投与と投与速度の調節を行うべき注意義務があったというべきである。

2  しかし、前記三のとおり、本件分娩誘発においては、三月三日午前一〇時一六分ころ以降に注入速度を上げる必要はなかったにもかかわらず、午前一〇時四〇分以降オキシトシンの注入速度を増加させ、オキシトシンを過量に投与したものである。したがって乙田医師には、オキシトシンの投与速度の調節を行うべき注意義務に違反した過失があるというべきである。

そして、前記認定の事実によれば、右注意義務違反により、オキシトシンが過量に投与され、その結果、過強陣痛が生じ、胎児仮死となったものということができる。

七  吸引分娩について

1  証拠(甲三、六、九)によれば、次の事実が認められる。

(一) 吸引分娩は、吸引牽出器を児頭の先進部に吸着させ、陣痛発作時に産婦の努責に同調して児頭を牽引、娩出させる方法であり、牽引力は鉗子手術に劣るが、比較的安全な方法として広く用いられている。

(二) 吸引分娩の要約としては、児頭が骨盤内に固定していること(ステーションプラスマイナス零以下)であること、子宮口全開大であること等が挙げられる。

(三) 牽引は、一気に児頭の下降を期待するごとき操作を避け、娩出力の波に乗るように行うべきである。微弱陣痛時には陣痛促進剤による陣痛改善が前提となる。なお、微弱陣痛とは、陣痛の発作の回数、持続及び強さのうち、いずれか又は全部が減弱して分娩が進行せず、遷延するものをいう。

(四) 本件分娩において、吸引分娩の施行が決定され、試みられた平成五年三月三日午後零時三五分から四〇分ころは、陣痛曲線の山形の波もなく、陣痛が極めて減弱していた。

2  右によれば、産科医は、吸引分娩を施行するに際しては、その要約、前提条件等を吟味し、要約、前提条件等が充たされる場合に初めて施行すべき注意義務を有しているというべきである。

3  そして、本件分娩において、吸引分娩施行を決定し、試みた時点では、既に陣痛が極めて減弱した状態にあった以上、吸引分娩を行うべきではなかったというべきであり、乙田医師には右注意義務に違反した過失があるというべきである。

八  クリステレル圧出法について

1  証拠(甲一五、乙一八)によれば次の事実が認められる。

(一) クリステレル圧出法は、児頭が会陰部まで達しながら、全身衰弱、微弱陣痛、腹圧不全等により、分娩が進行しないときや、母体又は胎児に危険が切迫したとき等に行う胎児圧出法である。会陰切開がすでに施行されていたり、あるいは併用されたりする。両手を子宮底に当て、陣痛発作時に胎児を骨盤内に圧迫する。子宮破裂、胎盤早期剥離等を起こす危険性があるため、過度の圧迫は慎み、数回試みて不成功の場合は他の方法に切り替えるべきである。

(二) クリステレル圧出法は、分娩第二期に排臨、発露近くまで児頭が下降しているにもかかわらず、会陰切開によっても児頭が娩出されない場合に行う。初産婦や母体疲労、麻酔等のため腹圧が十分かけられない場合や、仙骨や尾骨先端の突出のため分娩の進行が妨げられるとき等に用いる。鉗子分娩や吸引分娩の際、牽引力を補助するために併用することもある。

2  右によれば、乙田医師は、クリステレル圧出法を施行するに際しては、その要約、前提条件等を吟味し、要約、前提条件等が充たされる場合に初めて施行すべき注意義務を負っているというべきである。

3(一)  本件分娩においては、吸引分娩自体を行うべきではなかったのであるから、吸引分娩を補助するためにクリステレル圧出法を行うべき状況にはなかった。

(二)  また、本件分娩においてクリステレル圧出法を施行した段階では、オキシトシンを過量に投与していたのであるから、乙田医師は、右過量投与の事実を認識すべき状況にあったといえ、したがって、右過量投与による子宮破裂の危険性を考慮すべきであった。

(三)  したがって、子宮破裂の可能性を考慮した場合、クリステレル圧出法を行うべきではなかったものであり、乙田医師には、右注意義務に違反した過失があったというべきである。

九  帝王切開の準備について

1  右七、八によれば、乙田医師は、本件分娩において吸引分娩、クリステレル圧出法のいずれも実施すべきではなかったのであり、午後零時三五分の時点で帝王切開による娩出の方法を採用し、早急に実施に取りかかるべき義務があったというべきである。

2  しかし、乙田医師は、吸引分娩、クリステレル圧出法を実施し、不成功となった後の午後零時五五分になって初めて帝王切開を行うことを決定したのであり、したがって、乙田医師には右注意義務に違反した過失があったというべきである。

一〇  子宮破裂の原因について

1  前記のとおり、オキシトシンの過量投与によっても、クリステレル圧出法の実施によっても、子宮破裂が生じ得るところ、本件分娩においてはそのいずれもがなされており、結果的に子宮破裂が生じたものである。

2  本件全証拠によっても、オキシトシンの過量投与のみにより子宮破裂が生じたものか、右過量投与直後のクリステレル圧出法の施行により子宮破裂が生じたものかは断定しがたい。

しかし、本件分娩においては、前記のとおり常位胎盤早期剥離により子宮破裂が生じたものということはできないことに照らすと、右過量投与のみ若しくは右過量投与直後にクリステレル圧出法が施行されたことのいずれかを原因として子宮破裂が生じたものというべきである。

一一  挿管について

1  証拠(甲一〇、一一、乙三、九、証人A)によれば、次の事実が認められる。

(一) 平成五年三月三日、原告花子が娩出された後、直ちに丁山医師により挿管がなされた。午後一時四〇分の時点で、原告花子の状態は、チアノーゼプラスで、自発呼吸はなかったが、午後二時七分自発呼吸が認められた。

被告病院からこども病院への搬入の際には、医師三名が付き添ったが、乙田医師は、挿管後間もない原告花子の状態につき、酸素が供給されているわりには、皮膚色の変化がないという印象を受けていた。

(二) 原告花子は、こども病院入院時、自発呼吸が存在し、呼吸は緩徐、不規則であった。皮膚色は余り良くなく、うっすらとピンク色であったかどうかという程度で、四肢のチアノーゼがあった。体幹部の皮膚色も余り状態としては良くなかった。

搬入時の原告花子の心拍数は一一七ないし一四七、血圧は七四ないし四〇であった。

(三) 通常、気管内挿管が適切になされていれば、チアノーゼはなくなり、自発呼吸は消失するところ、A医師は、原告花子がこども病院に入院した当時、一〇〇パーセント酸素投与下のはずであったにもかかわらず、チアノーゼがあったため、食道挿管を疑った。

(四) 原告花子のこども病院入院時、右病院医師佐藤が喉頭鏡により喉頭を展開して確認したところ、食道挿管となっており、再挿管がなされた。

再挿管直後の血液ガス分析によると、ペーハーが6.384となっており、高度なアシドーシスであった。ベースエクセスはマイナス25.8とかなり低値であり、高度な代謝性アシドーシスであった。代謝性アシドーシスは、全身の循環が悪い場合に起こる症状であり、酸素が十分に摂取されないことにより、嫌気性の代謝が行われ、乳酸が産出されることにより、血液が酸性に傾くものである。

また、右血液ガス分析によれば、血中の酸素分圧は476.5であり、肺でも酸素化は十分に行われていた。すなわち、再挿管後の時点では、肺で十分に酸素が血液に溶け込んでおり、原告花子の肺における酸素化には問題はなかった。

再挿管後、原告花子の全身色はピンクとなり、血色が回復し、チアノーゼが解消した。

(五) 通常、気管内挿管がなされた場合、その状態で必ず固定するものである。

原告花子はこども病院へ救急車で搬入されたところ、救急車による搬入の場合、運搬中に振動で抜ける場合もあり得るが、搬送する者は当然振動により挿管のチューブが抜けないように注意して搬送するものである。

(六) 気管内挿管により、ほとんどの症例は、挿管による人工換気で心拍が上昇し、皮膚色もピンク色に改善する。改善しない症例には、すぐにパルスオキシメーターの装着と血液ガス分析を行うべきである。これは、肺での酸素化がきちんと行われているか否かを確認するための処置である。

(七) 新生児の無呼吸状態には、一次性無呼吸と二次性無呼吸とがある。一次性無呼吸というのは、仮死の場合のように、最初無呼吸となった場合に容易に刺激や酸素投与のみで回復し得るような状況をいう。その後低酸素と高炭酸ガス血症が進むと、血液中の二酸化炭素分圧が高まり、外呼吸(あえぎ呼吸)が始まる。あえぎ呼吸は不規則で弱い呼吸である。その後また無呼吸が生じるが、これを二次性無呼吸という。二次性無呼吸となれば、かなり積極的な蘇生を行わないと仮死の状態は回復しない。

(八) こども病院においては、搬入後間もなく胃内の吸引がなされたところ、一〇シーシーのエアが抜けた。

食道挿管がなされた場合であっても、喉元に酸素が行くため、緩徐な呼吸があれば、多少は肺から酸素が吸入されることはあり得る。

2  右によれば、担当医師は、仮死状態の新生児に挿管の必要があると判断したときには、誤って食道に挿管することなく、気管内挿管を的確に行い、挿管後は、肺での酸素化がきちんと行われているか否かを確認すべき注意義務を負っているというべきである。

3  原告花子の肺の酸素化の機能には問題がなかったにもかかわらず、丁山医師による挿管後も皮膚色の変化もなく、チアノーゼも解消されず、自発呼吸が不規則、緩徐に確認されたこと、こども病院における再挿管後はほどなくチアノーゼが解消され、皮膚色も回復されたこと等からみて、当初から食道挿管がなされてしまったものと考えられる。

こども病院搬入時の原告花子の心拍数、血圧については、食道挿管においても喉元までは酸素が来ており、緩徐な呼吸により多少の酸素が肺から吸入されたことによるものというべきである。

また、搬入後間もなく行われた胃内の吸引により出されたエアは一〇シーシーであったが、食道挿管においても酸素が口や鼻から流出することはあり得るのであり、これをもって食道挿管ではなかったことの理由とすることはできない。

したがって、丁山医師には気管内挿管を的確に行うべき注意義務に違反した過失があり、丁山医師及び乙田医師には、肺での酸素化が行われているか否かを確認すべき注意義務に違反した過失があるというべきである。

一二  原告花子の後遺障害との因果関係

以上によれば、乙田医師の要約を充たした分娩誘発を実施すべき注意義務違反、分娩誘発を行う際の説明義務違反、オキシトシンの過量投与に係る注意義務違反、吸引分娩及びクリステレル圧出法を実施する際の注意義務違反、帝王切開を早期に行わなかった注意義務違反、丁山医師及び乙田医師による挿管に関する注意義務違反の結果、過強陣痛が生じ、胎児仮死となり、子宮破裂が生じ、また胎児仮死による低酸素状態が長引いたというべきであり、これにより原告花子は、低酸素脳症の後遺症として、脳性麻痺による精神遅滞、てんかん、疼性四肢麻痺等の障害を負ったというべきであるから、被告は、右医師の使用者として、原告花子の右後遺障害についての原告らの損害を賠償すべきである。

一三  損害について

1  後遺障害による逸失利益 三四六二万二七四五円

原告花子は、疼性四肢麻痺等の障害を負い、全面介護を要する状態にあるところ、証拠(甲一、八、一四、原告春子本人)によれば、生涯稼働不能であるものと認められるから、労働能力喪失率は一〇〇パーセントである。したがって、不法行為時である平成五年三月三日の時点における満一八歳から六七歳までの逸失利益の額は、平成八年賃金センサス(産業計・企業規模計・学歴計)による女子労働者一八歳の平均年収二一〇万八七〇〇円に新ホフマン係数16.419を乗じた三四六二万二七四五円(一円未満切り捨て)となり、右額を原告花子の後遺障害による逸失利益とみるべきである。

2  介護付添費 六八八二万八八五三円

前記のとおり、原告花子は生涯全面介護を必要とするところ、原告花子に対する現在の介護状況からみて、介護付添費として一日六〇〇〇円、一年間に二一九万円が必要である。そして、原告花子の症状は一歳で固定したものであるところ、平成八年簡易生命表によれば、一歳の女性の平均余命は八二年間であるから、右年間介護費に新ホフマン係数31.4287(八三年の係数から一年の係数を引いたもの)を乗じて、平成五年三月三日の時点における一歳から八三歳までの介護付添費の額を算定すると、六八八二万八八五三円となる。

3  慰謝料 二五〇〇万円

原告花子の本件分娩誘発による胎児仮死、新生児仮死、食道挿管、再挿管等に至る経緯、被告病院医師の過失の態様等を考慮すれば、原告花子の右後遺障害による精神的苦痛に対する慰謝料としては、二五〇〇万円が相当である。

4  両親固有の慰謝料

前記のとおりの後遺障害に至った経緯、後遺障害の程度、原告花子の介護状況等に鑑みれば、原告春子及び原告太郎は、死亡した場合と同視し得る程度の苦痛を受けたというべきである。したがって、原告春子及び原告太郎の精神的苦痛に対する慰謝料をそれぞれ三〇〇万円とするのが相当である。

5  弁護士費用

原告らが本件訴訟の提起及び追行を原告ら代理人に委任したことは本件訴訟記録上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、原告花子につき一〇〇〇万円、原告春子につき三〇万円、原告太郎につき三〇万円とするのが相当である。

6  損害額合計

原告花子の右後遺障害に対する原告らの損害額は次のとおりである。

(一) 原告花子 一億三八四五万一五九八円

(二) 原告春子及び原告太郎 各三三〇万円

一四  結論

以上によれば、原告らの請求は、原告花子につき一億三八四五万一五九八円、原告春子及び原告太郎につき各三三〇万円と右各金員に対する不法行為の日である平成五年三月三日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官古賀寛 裁判官金光健二 裁判官秋本昌彦)

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